朝ドラ「虎に翼」で話題となっている三淵嘉子さんですが、その再婚相手は、日本初代最高裁判所長を務めた三淵忠彦の長男・三淵乾太郎さんでした!
三淵乾太郎さんも父と同じ裁判官をしており、前妻との間に4人の子供がおり、三淵嘉子さんとともに過ごしていたようです。
三淵乾太郎さんとは、いったいどのような人物なのでしょうか。
三淵乾太郎さんのwiki楓プロフィールや経歴などエピソードを交えて、調査してみました。
さっそく見ていきましょう!
三淵乾太郎はどんな人物?
wiki風プロフィール
名前:三淵太乾太郎
生年月日:1906-1985
出生地:岡山県
配偶者:前妻・祥子(茨城・井沼豊彦の娘)との間に三女一男を儲けたが、1955年に妻と死別し、後妻として三淵嘉子を迎えた
両親:三淵忠彦(父)
出身行:東大法科卒
朝ドラの説明には、「父も法曹界の重鎮で自らも裁判官。温和な性格だが笑顔の奥の本心は誰にも分からない。その信念に寅子と通じ合う部分がある。」と記載されています。
経歴
甲府地方裁判所所長、浦和地方裁判所所長などを務めたようです。
地方裁判所長は、地方裁判所のトップであり、一定の地域(都道府県や地方区分)の裁判所を管理し、裁判所の運営や判決の品質管理などを担当します。
地方裁判所は一般裁判所の一種であり、民事・刑事・家事など様々な事件を扱います。
地方裁判所長は、その地域の司法権を代表し、裁判所の正常な運営を確保する重要な役割を果たします。
そのほか、再婚相手の三淵嘉子さんと出会った際には、最高裁調査官を務めていたようです。
エピソード
三淵乾太郎さんの父親は、日本初代最高裁判所長を務めた三淵忠彦さんです。
偉大な父と同じ職業についている三淵乾太郎さんですが、父親が築いた成功の道を歩むことは、息子にとっては大きなプレッシャーだったのではないでしょうか。
三淵嘉子さんと晩年を過ごした家は、この父親から譲り受けたものだったそうです!
朝ドラを舞台にこれから多くのエピソードが語られますので、偉大な父を持つ息子としてどのように人生を送ったのか朝ドラがとても楽しみですね。
三淵嘉子・妻との馴れ初め
三淵乾太郎さんと三淵嘉子さんは、再婚同士でした。
その出会いは、裁判所の判事室だったそうです!
三淵乾太郎さんが最高裁判所調査官をしていて、三淵嘉子さんの判事室に出入りしていたことから、出会いました。
よく顔を合わせていたと思われますが、共通の知人によって知り合い、交際がスタートしたようです!
その後、1956年に結婚しています。
このとき、
2人は知人を介して知り合い、徐々に親しくなり、やがて交際を始め、1956年に結婚しました。
三淵乾太郎さんは50歳で、三淵嘉子さんは41歳でした。
年の差カップルですね!
まとめ
三淵乾太郎さんについて、詳しく見てきました!
偉大な父と朝ドラの題材になるほどの妻を持ち、裁判官としての使命を全うしたことが分かりました。
前妻との間に生まれた長女は結婚して家をすぐに出ていたそうですが、三淵嘉子とよく口喧嘩をしていたなどのエピソードもあり、にぎやかな家庭だったようです。
オリジナルストーリーとなっている朝ドラにも注目ですね!