【法政大監督】坪田智夫のwiki経歴(出身)!箱根駅伝にかける思いとは?

2024年で100回を迎える「東京箱根間往復大学駅伝競走」。

今回は法政大学で陸上部駅伝監督を務めている坪田監督についてwiki経歴をまとめていきたいと思います。

出身、そしては箱根駅伝(駅伝)にかける思いについても紹介していきたいと思います。

まず、坪田監督の経歴から見ていきましょう。

目次

【法政大監督】坪田智夫のwiki経歴(出身地)!

プロフィール
名前坪田智夫(つぼた ともお)
生年月日1977年6月16日
年齢46歳 ※2023年12月時点
出身兵庫県
身長174㎝
体重59㎏
職業法政大学 陸上部駅伝監督
前職陸上競技選手(長距離種目)
前所属コニカミノルタ
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坪田智夫の経歴について

【経歴】

神戸甲北高校卒業
法政大学を卒業

2000年:コニカミノルタ(10年以上)
2010年頃:法政大学陸上部へ出向指導
2012年4月:法政大学陸上部長距離コーチ
2013年4月:法政大学陸上部駅伝監督 (当時35歳)
現在

では大学時代・現役コニカミノルタ(旧:コニカ)時代の坪田智夫監督に成績について見ていきましょう。

【主な成績】

  • 世界大会
    • 2002年第14回アジア競技大会(釜山)男子10000m 7位
    • 2003年第9回世界陸上パリ大会男子10000m18位
  • 大学
    • 1999年関東インカレ1部10000m 2位・日本人1位
  • 箱根駅伝
    • 1997年第73回箱根駅伝5区14位
    • 1999年第75回箱根駅伝2区3位
    • 2000年第76回箱根駅伝2区区間賞
  • 実業団
    • 2002年全日本実業団ハーフマラソン優勝
    • 2002年第50回兵庫リレーカーニバル10000m 3位・日本人1位
    • 2002年第86回日本選手権10000m 優勝
    • 2003年第87回日本選手権10000m 4位
    • 2004年第88回日本選手権10000m 5位
  • ニューイヤー駅伝
    • 2001年第45回実業団駅伝(ニューイヤー駅伝2001) 7区区間賞
    • 2002年第46回実業団駅伝(ニューイヤー駅伝2002) 5区区間賞・区間新
    • 2003年第47回実業団駅伝(ニューイヤー駅伝2003) 5区区間賞
    • 2004年第48回実業団駅伝(ニューイヤー駅伝2004) 2区区間賞
    • 2009年第53回実業団駅伝(ニューイヤー駅伝2009) 6区区間賞
Wikipedia

大学時代から現役時代まで数々の成績を残しています。

そして、特に下記成績は実業団でもなかなか取れるものではありせん。

日本陸上競技選手県大会で優勝
世界選手権の1万メートルに出場

素晴らしい成績を残した選手だったことがわかりますね。

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坪田智夫の出身地について

坪田監督の出身は兵庫県です。

そして、出身高校は神戸甲北高校です。

〒651-1144 兵庫県神戸市北区大脇台9−1

坪田監督は、中学時代から陸上を始めていますが、特に深い意味は無く、長距離を選んだ理由も小学校の時に水泳をしていたため心肺機能が鍛えられているから有利と思っただけだと言います。

高校についても強豪校というわけでは無く、公立神戸甲北高校に進学しています。

4つ上の兄がいるそうで、兄から「脚が早い奴はモテるぞ」と言われて、それだけで陸上の道へ進んだというから面白いものですね。

続いて、法政大学監督としての活躍を見ていきましょう。

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法政大学陸上部員50名を一人で担う坪田監督

坪田監督は実は、法政大学陸上部駅伝監督に就任して、部員約50名をほぼ一人で見ています。

法政大学には、駅伝コーチなどいないそうで、こんな投稿を見つけました。

なかなか珍しい大学・監督だとわかります。

法政大学陸上部の箱根駅伝の成績は

そんな中でも昨今の箱根駅伝の実績はというと・・・

2022年:第98回東京箱根間往復大学駅伝競走:総合順位10位
2023年:第99回東京箱根間往復大学駅伝競走:総合順位7位

という輝かしい成績を収めています。

また、2015年には一度だけ箱根駅伝出場を逃しましたが、それまで連続27回連続出場、例年箱根駅伝へ出場している常連校となっています。

更には、東京五輪では3000m障害の青木涼真選手、5000mの坂東悠太選手の2名が法政大初のオリンピック代表にもなっています。

ここまでの強豪大学の陸上部駅伝監督をたった一人で担っている坪田監督のスゴさがわかります。

では、一人で部員約50名をどのようにして見ているのでしょうか。

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坪田監督1人でどうやっているの?

坪田監督の指導方法について気になったので、調査してみるとこのような情報がありました。

坪田監督のインタビュー記事です。

指導についてこのように語っています。

基本は、しっかりタスキをつないでいくことを中心に指導に当たっています。あと、選手に求めるものはやっぱり『やらされるのではなく、考えてやる』ということです。これは指導者になって以降、ずっと言ってきたことです。選手の方から練習を持ってきなさい、という意味です」

Sportiva

監督主導というより、選手の考えを尊重して行動させることに長けた監督なんだそうです。

「自分で考えて行動すること」を基本的に徹底していることがわかりますね。

約50人の部員を抱えて、細やかな指導は不可能ですし、これは生きていく上でも基本的な事でもあり、大事なことですね。

また、「Bild」というサービスも利用して、部員(選手)達とはコミュニケーションを図っているようです。

約50人の部員とコミュニケーションを取りながら更にチーム作りをするためには一人の力では相当な時間を要するため、

(コンディション管理)
・目標設定
・毎日の練習
・振り返り

このような点を機械を使って管理していくといった方法も取っているようです。

やはり、約50人の部員を抱えて、一人ひとりと密に指導を行うためには、相当なパワーが必要であり、時には人だけではなく様々な方法を考えアップデートしながら指導に当たっていることがわかります。

最後に駅伝(箱根駅伝)への思いを見ていきましょう。

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【法政大監督】坪田智夫の箱根駅伝にかける思いとは?

坪田監督は、法政大学の監督として約11年目を迎えます。

このようなお話を見つけました。

――最後に。昔も今も、変わらない箱根駅伝の魅力とは、どういう部分にあると感じていますか。

「一度離れてから戻ってみると、大きなコンテンツになったなとは感じますが、私のイメージで言うと、走っている選手の姿にすべてが出ているからではないでしょうか。選手一人ひとりがその日まで積み上げてきたものが応援する人たちの目にもはっきりと映し出されていると思いますし、200人以上の走者それぞれに違いがある。もちろんメディアに多く露出していることも大きな要因ですが、陸上競技も駅伝もめちゃくちゃシンプルな競技であることも、そうした個々に魅了されるのではないでしょうか」

Sportiva

今回100回となる「東京箱根間往復大学駅伝競走」には、別の思い入れもあると思われます。

それが、部員1名が他界してしまったこともあるのではないでしょうか。

法政大学の副キャプテンでもある稲毛嵩斗選手が語っている記事も見つけました。

この夏、高橋彰太選手(2年)が突然この世を去った。

東北高校、法政大学と同じ進路をたどった後輩の急逝が与えたショックは計り知れない。

出雲駅伝でつけて走った喪章は坪田監督と奥様が縫ったそうだ。
「今年は彰太が離れてしまいましたが、1月3日まで、チームは彰太も含めたチームだと彼らにも伝えたし、彼らもその気持ちは1人ひとり持っていて、この100回大会を走りきってくれるのではないかなと思ってます」
箱根では喪章をつけ、運営管理車にシューズやユニフォームを乗せるという。

文化放送

今回の100回大会では、チーム全体そして坪田監督にも大きな衝撃を与える出来事が起きた1年だったのではないでしょうか。

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【法政大監督】坪田智夫のwiki経歴(出身地)!箱根駅伝にかける思いとは?まとめ

いかがでしたか。

今回は、法政大学陸上部駅伝監督の坪田智夫監督のwiki経歴とは駅伝(箱根駅伝)について書いていきました。

これからも監督として頑張っていってほしいですね。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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